造形大卒展。アートとそれにまつわるいろんな表現。
造形大の卒展に行く。
おそらく今のアート業界牽引されているのだろうなぁ、という方々のいろんな話を聞く。
アートに関する「話」っていうのは、どうして、常にアートかくあるべし、っていう話になりがちなんだろうか。20年前、30年前から、そこは変わってないんだなぁ、、と思った。
<大事なことがある>と言う、ことば。
アートには文脈や背景の説明が必要だ、、というお話もあった。
なんだか変わってないなぁ。
まぁ、たしかに、そういうことがらやことばが世の中をひっぱっているように見えたりすることもそれはたしかにある。
話変わって、今日はじめて、造形大の創立者の文章というかインタビューちゅうものをはじめてちゃんと読んだ。
7回投獄された末に大学を作ったという話がのっていて驚いた。
なんだかすごい話だった。
想像もできない。
じゃなかった、想像しかできない。
つまり、わからない。どういう状況だったのか。
まったく。
そして
<かくあるべし、と私は思ってやってるのですが、私はまだまだです。どうしてもできないのです。> というような内容の、その人自身のことばによる表現だった。
こんな人だったのか、この大学を作ったのは、、と驚いた。
そして学生たちの作品をたくさん見た。
解説とか題名はあまり見ないが、解説を見てちょっと感動した作品もたしかにいくつかあった。
今、すぐ思い出すのは、くまのぬいぐるみを作った人の作品解説に、そのくまのなまえが
「くまこ」というのだ、ということが書いてあったことだ。
くまこ!うーん、いい名前だ。と思った。
そう思っただけだが。
それは文脈だろうか。
そういえば、今日
<1人の世界で夢を見ているだけでは伝わらない。伝えるための自分の位置を知らないと。>というようなお話も出ていた。
アートに関してよく言われることだが、久々に聞いた気がした。
なんだかすごくじーっとそれを言う方の顔や表情を見つめてしまった。
言葉も音だ。
話すことも。
いろんな音がしている。しゃべり方というのにもいろんな色があり形がある。
今日一番おどろいたことは、行った事がなかった教室から見える京都の山のすごくきれいだったこと。こんなアングルがあったのか。
あと、久しぶりに会った学生の人が二人ともなんだか元気そうでうれしかった。
こども芸術学科の作品はぼくに元気をくれた。
あと、すっごく笑った作品が(それはこども芸術学科ではなかった。)一個あって、ひとりでそれを見ながらずっと笑っていた。いや、ほんとになんだかおもしろかったのだ。笑わせる目的ではないのだろうけど。楽しかった。
どこがおもしろかったか、説明したいけど、無理か、、
帰りにぐるぐるカフェに寄ろうとしたら今日は休みとのこと。
残念無念。