批判したり相手のよくないところを見つけることの罠。
すぐに批判したくなる。
相手のよくないところをよくないと決めつけたがる。
それは簡単におこることだ。
それは一口に言うと、相手をみくびるという行為だし
大概そういうときには、きちんと自分が立てていないことが多い。
客観的に観察すると、自分の立ち方が歪んでいるということが多い。だらっと立っている、もしくは、力んでいる。
相手を、そして自然を、見くびって立っているということだ。
相手を本当に信頼するということは
自分の明るさや力の抜けた立ち方をくずさずに
相手とコミュニケーションができ、しかも二人で良い方に向かえるという
絶対の自信も持てているということだ。
それはあまり工夫することではない。もともとある力だ。
そういう自信のある人は、力んでいない。
本来ある力
それは自然な立ち方からしかやってこない。
言葉や指先、目の操作からは
そういうものとは逆の、批判とか弱点探しとか、そういうことばかりが生まれる傾向にある。
そういえば、
「大人になって怒られたくないよね」と言って笑っていた友達がいたが
すごくよいことを言うと思った。
よく思い出す。そのセリフを。
つまり、相手が何をしたか、ではなく、
相手はどう思ってるか、を考えることができるということ。
誰しも怒られたくなんかない。
つまり、相手も調子の悪いときもあれば忘れるときもある。
そりゃそうだけれど、きっと話せばわかる。
というより
<話さずに伝えられる>
そう思えるとしたら、それはどこから来るのだろうか、
ということ。
一緒にずっとなにかやっていける、と思っているかどうか。
それは基本的信頼の問題で、ことがらとは関係がない。
でもだからこそ、はっきり伝えるべきときは
怒るのでなく、もう相手がうごくようにちゃんと接触する。
そこに暗さはみじんもない。むしろ笑ってしまうような事実だけがそこにある。
その気持ち、というより、動きはすぐに相手に伝わる。
それができる人は簡単にいらだちを人にぶつけたりはしない。
とっかえひっかえ相手に信頼を失う人は
次々に新しい夢を作り続けるだろうが、永遠に信頼にはたどりつかない。
それは1人で見ている夢にすぎないからだ。
そういうことを、合気道や整体から学ぶ。
人間の立ち方やうごき方というのは本当に基本的な大事なことを含んでいる。