自慢し排他する弱さ
最近どうも「非国民」だとかなんだとかそういう言葉がふつうにちらちらネットとかで見かけられるようになった。
そんなことをいうのがもっとも情けないことだということを知らないんだろうか。
でもそんなにそれが多くの人とのセリフとは思えない。
そういう風に持って行こうとしている人はいるかもしれない。
本当に強いものは、他のものと共存できるのだ。
すでに私たちは同時に存在している。
本当に強いものは、「どううまくやっていくか」考えるものだ。
思想の上で、他人を排他するのは、現実逃避だ。
それはもうすでにワールドスタンダードだ。当たり前のこと。
仲間を選び、同じ考えのものだけでまとめようとするのは、弱く、「溺れるもの」だ。
怖いのだ。共存していること自体が怖くてしょうがない。
怖くてしょうがないから排他する。そして仲間だけで集おうとする。
その過程自体が、もう現実から逃げている。
現実と逃げ続けて、自分以外のものを言論の上で殺し続けても、いつか気づくのは、
「自分が逃げていた」という事実以外のものではない。
最終的に出会うのは思想ではないのだ。
現実だ。生物としての。
自分は弱かった。他の存在を認められなかった。
「排除する」ということ自体がすでに「溺れている」ことだ。