平凡さを恐れない。MD。
企業や組織はだいたいにおいて利潤や、特に目の前の「成果」を追いかけすぎて、たいてい古いものを切り捨てたり、マイナーなものに潜む大事な部分を、平然と無視したり、当たり前のように大事なことを忘れていくもの、と思い込んでいた。(そしてそこに属している、ということだけで誰も責任を取らない。)
なおかつ、あせってる割には、結局目の前しか見てないから成果も出せないという場合も多い。
結局みんなで似たような未来を追っかけてたらそんなもの成果が出るわけなんかなくて、みんなでただ「あせる競争」をしてるってことになっちゃう。
結果を狙って何かをやるのはなんだかださい、というのがもっと当たり前になると良いなぁ。
とよく思っていた。
企業だけでなく、アートや音楽でも、たとえそれがどんなに工夫されてたり、一見「すごそう」でも結局成果ねらいのものはつまらない。そういうねらいが透けて見えちゃう。
本人の就職活動。
そういうものよりは、一見少し鈍いくらいのもの、「間違いや平凡さを恐れてないもの」の方がずっと好きだ。かっこいいと思う。そのかっこよさは華やかではないが、本当の存在感や重量感がある。
レゲエも、レゲエの中のそういうところが好きだった。ブラジル音楽でも、江州音頭でも、やっぱり同じ。
その人がそこにいる、という力。そういう表現が好きなんだが、それって「表現」っていうのがあってるのかな、とよく思う。表現て言うと表現しようと思ってやったものだけを指すみたいに聞こえるから、どうしても「発信」過多になっちゃうんじゃないかなぁ。言葉にも責任がある。
そういう目立たなくても魅力があって長期で見たら周りに素敵な未来をも生むような、ロングスパンの作品や演奏、それからお料理、そういうものが世の中にはいっぱいある、とよく思う。いつも頭が下がる。
そういうものに出会うたびに素直に感動できるし、自分の中の軽薄な部分がなんかいい意味で「しゅん」となってくれて、自分で反省するというより自然に消えてなくなっていく。
それは本当に心地の良い経験だ。
あ、そうだった。生きることはそんなに軽いことじゃないし、あせることでもないのだ、競争でもない、ということを思い出させてくれる、そういう作品や演奏、料理。
そういうものたちはやたらと主張したりしないから、騒がしくない。でも強さがある。
強い犬は騒がしく吠えないのだった。
そんなことを思ってたら、、
企業においても、こういう会社もあるんだなぁ。
だいたい企業は、、とかアホで大まかなグルーピングして考えてたらあかんよな、とちょっと反省。
いろんな人の数だけいろんな会社がある。僕はそれを直接は知らない。知っていることはほんの一部のことだ。
そういやうちにもMDがたまってたっけ。