カイロ
ぼくは今年で50歳になったのだが、50歳といえばそこそこの年で昔なら人生50年といったくらいだから、もうそこそこ長いこと生きさせてもらってることになるわけだけど、こどものころからずっと不思議なことがある。
それは、とうとうと自分の考えをしゃべる人、というのが世の中には多いということだ。
ぼくとしては、「考え」なんてものは、寒くてしょうがないからその人が自分でポケットに忍ばせてる「ホッカイロ」(これは商品名だな、、)みたいなもんで、ああいう市販品とは違って、赤いのや青いのやさらには複雑なのや多種多様で、基本的には他人に見せたところで、しょうがないものなんじゃないかな、と思うんだけど、どうもその中身を人に説明したくてしょうがない人というのが案外多いんだなぁ、ということだ。
カイロと同じで、寒くてしょうないから「考え」で自分をあっためる。それはまぁある意味「しょうがないこと」ではあっても、なくて平気ならそのほうがより健康なんじゃないか、とさえ思う。
それは子供のころからまわりをぼーってみてていつも思ってたことで、どうしてこんなに「考え」をみんなしゃべるんだろう、そしてそれでケンカしたりするんだろう、と感じていた。
だいたいにおいて、カイロがその人をあっためてるうちはいいが、カイロの見せ合いになったりするとだいたいろくなことなんかない。
最初はなんだか楽しそうに見せあってるのに、そのうち、どっちのカイロがいいかみたいな話になったり、必ずややこしくなる。
だってもともとがそれぞれのためにあるものだから!誰がもってるのも他の人とはぜんぶ違うカイロなのになぁ。
なんだかこどものころからずっーっといろんなタイプのそういう話をいろんなところで聞いてきた気がして最近さすがに長期的疲れが出てきた気がする。いや、たのしい話、あったかい話ならまだいいんだけどね。
わりと僕はぼーっとしてるから聞いてるように見えるんだろうなぁ、だからよくそういう目に合うのかなぁと思う。
カイロを入れてるとね、、僕はあったかいんですよ。。
という話ならもちろん聞けるし、
すみません、私のカイロの中身について話聞いてくれますか?
ってちゃんと言ってくれるなら、もちろん楽しく聞くことだってできる。
カイロについて、あなたが感じてること、なら聞いてておもしろい。
こういうカイロ(考え)が私をどうしてるのか(あたためてる、悲しませてる、つらがらせてる)、っていう話なら共感できる。
それは人間の感じ方の話だから。そして、それが「あなたのカイロの話にしかすぎない」とあなたが思ってくれてるなら聞くことができる。
でも、たいてい、自分のカイロ(考え)についてとうとうと喋る人は、まずだいたいそのカイロが自分のポケットにあることが自分にとってもあったかくすらなくて、むしろカイロの成分についていらだっていたり、そのカイロの構造のことで頭がいっぱいになってたりして、つらくなってるものだから、いきなりカイロの成分の内容について他人に話をはじめちゃう。
大丈夫かなぁ。
しかももっともまずいケースは、たぶん頭のどこかで「みんながきっと同じカイロを使ってる」、もしくは「使うべきだ」と思ってることが多いようにも見える。
だから、話せばわかる・・と。
いやいや、それはあなた固有のカイロです。
それをつけてると体がかゆくなっちゃうカイロとか、どんどんポケットの中で増殖しちゃって始末におえないカイロとか、そんなもんさっさと捨てちゃえばいいのにもかかわらず、それを後生大事にポケットに忍ばせてるのは自分自身なのに、それを誰かにあっていきなり
「カイロのこの成分AはBなんですよ!!」
と急に一生懸命話しても
聞いた方は、どっちかというと、その成分や構造のことなんかより、
ただ、
「ひぃー、そんな汚いものいきなり出さないでー」
というのが、ざっくりした正直な感じ方だ。
(誰でもきっとそうだと思う。)
うーん、困ったな、えーと、、、僕はカイロについてじゃなくて、あなた自身の今日の気持ちや感じを知りたくて話してるつもりなんだけど、またカイロの話???となってしまって、ほんとうに困ってしまう。
さらに、困るのは、話をそらそうとして
いや、、あのさ、、そういう話じゃなくてさ。もっとさ、、、
そうだ、最近どうしてるの?元気なの?
とか言って話をかえようとしても、
「なんで、私の(僕の)カイロの話を否定するのだ!」
となってしまう。
おまえのカイロおれ、もってないし!!
なんでそんなことがわかんないんだろう?
いや、ほんと、古いカイロ、捨てましょう。
いい加減。なくても結構平気ですよ。なにも変わらない。ただただすっきりします。軽くなるし。
でもまだ世界がひとつのカイロで結ばれるべきと思ってるへんな人たちがまだいっぱいいて、しかもそういう人たちが「高学歴」とか呼ばれてる人たちの中にとっても多い気がする。
とてもへんだ。
ふつうの人は、高学歴だろうが低学歴だろうが関係なく、誰しも基本的に、「自分の体と心」で毎日を生きている。カイロはカイロ、と知っている。
カイロはたよる必要があるときに「自分のポケットにいれて」使うものであって、それで自分をがんじがらめにしたり、さらには人におしつけたりして使うものじゃない。あたりまえじゃないか。カイロなんだから。
カイロにとらわれちゃったのはとてもかわいそうだし、大変だな、と同情する。ある意味深刻だ。
でもカイロはたいしたもんじゃない、って気づいてくれないと、話もできない。ほんとに、気づいてほしい。
こっちの言い分として、ひとことでいうと
カイロじゃなくて、あんたの「感じてる」ことを正直に話せよ(まずは、気づけよ)。じゃなきゃ、こっちは聞いててもなんにもわかんねーよ!!
ってことやなぁー。
ほんとにだいたい何言ってるかわからないんだよな。
その人だけのカイロの成分の話だから宙に浮いてて他の人からはチンプンカンプンに聞こえてる、ってことがあんまりわかってない場合が多いように思う。
力説してるときはだいたい要注意だよなぁ。
そして、カイロばかりにとらわれると、気づかないところで、基本的なこと(約束を守るとか、あいさつするとか、相手の存在を感じるとか)に鈍感になっていってどうしても周りから浮いて行ってしまう。
気をつけないと!
心配だ。ほんとに!
悪口をいってるのでなくて本当に心配なのです。はい。
カイロの話は楽しく!が原則だよな。
はやくそういうのがあたりまえの世の中にならないかなぁ。
まぁかなりだんだんそうなってきてるし、確実にこれからもそうはなってくだろうけど、、、
しかし、この文章は、カイロの会社から怒られそうだな・・・
実際のカイロ自体には僕は毎冬とても重宝しています。寒がりなもんで、、、