自分のためのメモ。
自分のためのメモ。確信が持てるかどうか。負けること。
確信が持てないことを認めない=つまり、私にはわからない
としておくというのは、自分のためで(も)ある。つまりほとんどのことにおいては、「わからない」がまず第一である、
そして、控えめにいっても「立場上<戦い>には負けておく」のがもっとも素直で、賢く、しかも「強い」やり方である。
立場上の戦いはほんとうの戦いではないからだ。
もちろん、強いというのは誰かを倒すことではない。
確信が持てていることはなにか。
本当に確信が持てているかどうか自分が自分のために(も)わかる(気づく、思い出す)ためには、自分の中の偏見にひとつひとつ気づく必要がある。
偏見はただの遠回りだからだ。
ひまつぶしと言ってもいい。
まずはそのまま、負けるままに「自然に、負ける」ことだ。
なぜなら、私は最初から勝つほどのものをもともと持っていないからだ。それに逆らわないこと。
でないと、なににも気づけない。どこへも行けない。
そしてこんなことは、もともと誰しも知っている、ある意味くだらないといってもよいくらいあたりまえのことだ。
メモをしているのも恥ずかしいことをメモしている。
単に、ここのところのしばらくの間(短期間の間、それが何十年なのか、何秒なのかに関わらず)忘れている人が多い、もしくは自分が忘れていた、ということにすぎないのかもしれない。
そしてそうでもないのかもしれない。
そして、いろんなことが、あっという間に思い出せる。