おどっているっていうこと
おどるっていうことはけっこう(というか、かなり)必要なことだ。
おどるっていうと、音楽に会わせて踊ることやいわゆるダンスのことを言ってるのだろう、と思われるかもしれない。でもここで書こうとしてるのはそういうことではない。
なにかに「なる」とか、なにかを「どうかする」ということばかりが大事な基準であるかのように、よく(というか毎日)いろんなものごとが言われている。
でも、それ自体が問題の元凶だったりもするということだ。
それをこそぼくは言いたい。
もちろんそれは言葉で簡単に言えることではないのだけど(笑)
簡単に言えない、のではなく、そういうことは「言えない」、のだ、と言われたこともある。
大学のときに友達に
「みんなで言葉で話すなら、言葉で言えないことを言おうとするのはルール違反」
と言われた。
あははは。思い出すたびにぼくは1人で、うける。
いや、ほんと今でもうける。
でもそのときは笑えなかった。そのときにはそのからくりが見えなかったからだ。
そのときは単純にそう言われてぼくは何も言えなくなってしまった。ぼくは黙りこくりながらそのときに、「本当にそうだろうか?」と深く深く思ったのだ。ルール違反??
いやおもしろい。この言葉をぼくは死ぬまで忘れないだろう。
人から言われたことは、よくよく聞かないと本当の意味がわからない。こわいことだ。
そのときに
<なんでルール違反なんだろう?>とぼくは真に受けて考えてしまっていた。
そのときのぼくは
<ほんとうにルール違反なのだろうか?ルール違反ではないのではないか?>
と考えてしまっていた。
でも、ほんとうに起きていることは、単に
<その人が「ルール違反」と口に出して言っている>
ということだ。
なぜ?そう言うのか。言わなくてはならないのか。
だれかが「言葉でいえない世界」を「バカ」と思ってるかどうか、もしくは自分の言葉と違う人たちを「バカ」と思っていたりそれに近い発言をするかどうか、それを注意深く見ていれば本当にいろんなことがわかる。
いや、実におもしろい。
いまだに、「言葉で組み立てられない世界は、単なるオカルトである」ということを信じている人がたくさんいるということだ。無秩序になってしまうのが怖い人々。
その不思議なからくり。
いずれ、文章で(こういう理屈くさい抽象的な文章じゃなくて、もっと具体的に自分に起きた事をひとつひとつ)書いて行きたいと思う。
ともかく、僕自身にもいままでそういういろんなメッセージが当然のようにたくさんやってきた。いや、いまでもそれは常にやってくる。毎日のように。
それはいつも、「◯◯しないといけないよ。。」という「言葉」という形をとってやってくる。
ぼくだけでない。いろいろな人が、いろいろな人に、毎日
「◯◯しないといけないよ」と言われるわけだ。
そしてそれを言うときはその当人だれもが、
至極当然(しごくとうぜん)!
という顔になっているものだ。
そしてそれは身近な人に言われれば言われるほど、<そうかもしれない>という力強い拘束力を発揮する。
しかしその言っている<内容>ではなく、<そういう力>自体というのは、一体全体はたしてどこまで僕たち自身が「頼れる」類いのものだろうか?
ということだ。
ほんとうに深く深くそれに頼ってしまっていないだろうか?
おどる、っていうのはそういうのとはずいぶん違う。
違う類のやり方だ。
私もおどっているがあなたもおどっている。
大事なことは、おどってるときは、「一緒におどっているが」「無視もできる」ということだ。
無視しても、悪い感じはしないよ。だって踊ってるんだもの。
そしてそういうのをまとめて
「あなたたち踊ってるだけ」という人もいるかもしれない。
では、あなたは?笑
あはははは。
この文章で書いたような「おどる」ことではなく、もっと狭い意味で
「音楽に合わせておどる」とか「歌う」とか「演奏する」とかそういうのは、結局のところ、そういう扉を開くツールにもなる。
ツールなんて自分でいうとやはり笑ってしまうよね。でもこれでルール違反ではないでしょう?笑
ともかく、楽しいことに間違いはないのだ。