あたりまえの、魔法 2

エッセイ。批評。こちらのコーナーはどちらかというと批判や愚痴などを中心に。(笑)  あたりまえの、魔法1→http://junmusic.hatenablog.com/

楽器を貸すこと

ここ2週間くらいの間に、3回も「キーボードを貸してくれないか」と頼まれた。

他のことはともかく、楽器を貸すというのにはすごく抵抗がある。

うまく言えないのだが。。

一郎は、「他のバットやグローブの感触が自分の手に一回持っただけでもなにかのくせがつくのがいやだから、絶対に他の人のバットやグローブには触らない」そうだ。

まぁ、それをキーボードに例えるのは、無理がある。

というか無理なんだろう。
というのは、ギターやベースは木でできていて基本手作りだから一本一本個性が違うし、木の性質も違うからほんとにそれぞれがひとつの命を持っていて、一郎と同じようなことを言う人がいても筋が通るのだ。
しかし、キーボードの場合は、基本的には同じ型番のものは、まったく同じ工業製品である。
(と少なくともそう、思われている)

 

また、ぼくはどちらかというと、ジャマイカンのレゲエのキーボーディストが、すごいチープなどこにでもありそうなキーボードを、ありえないくらいかっこよく弾いてるのを見てすごくかっこいい!!と思ったりするようなタイプなので、この楽器は自分だけのもの!とか、世界にひとつしかない楽器がほしい、、というような欲求が強い方のミュージシャンでは決してない。
むしろ、どこにでもある楽器、その日出会った楽器を誰よりも「鳴らせる」ようなミュージシャンがかっこいいな、と思う。

でも、それとはまったく関係なく、というか、逆に?
なんていうか、やっぱりどんなにそれがありふれた楽器でも、どこにでもあるチープな楽器でも、ずっと持ち歩いているその人の楽器にはなにかその人の気持ちが宿っているのでは、と思ってしまうところもある。

僕はとても勝手な人間だ。

ものすごく勝手なことに、人の楽器を借りることになったら、別にそれはそれで気にせず弾くだろう。
というか、いまイベントをやっているゼスト御池というところでも、お借りしているキーボードをずっと弾いている。 すみません。
しかもこれからも自分が他の人の楽器を借りられたら楽だなぁという状況があったら、借りれないか頼んだりするだろう。そして借りられるものなら借りたりすることもあるだろう。

しかし、それでありながら、
これはほんとに理屈でなく、ほんとにエゴイスティックでわがままなだけなのだけど、自分の楽器を人に貸すのには、ほんとにうまくいえないけれども
「あぁ、別にいいよ」
とふっと思える自分にとっての「出会い」のタイミングが必要なのだ。

それ以外のときに

一般的な<もの>として
当然貸してくれてもいいでしょ??

という感じで言われるのは、ぼくはほんとうにきらいだ。
(今回の3件全部がそういう感じではなかったが。)

楽器はどこか恋人であって、

自分の恋人をデートさせるのは、すごい自分の信頼できるまぶだちか、もしくはなにか他の腑に落ちる納得できる理由が必要なのだ。

工業製品であってもぼくの持っている製品はぼくの恋人なのだ。
この考え方は基本的に狂っている。しかしそれで良いのである(笑)

自分は身勝手だからしょうがない、としかいいようながない。
平気で借りるくせに、貸すのはいやだっていう(笑)どうしようもなさ。

今回、ほんとに自分はわがままだなぁ、と思ったが
しょうがない、理屈では説明できないこともあるのだ、、、

理屈で説明できることばっかり書かれているSNSにもうんざりしてきてるからちょうどいいか。。

という文章を読んで、今回貸さなかった人に納得していただけたらうれしいのですが、、


無理だよなぁ。。